何にもしないをする

最近休日に遊ぶことにも疲れて
ただひたすら何もしないことをする休日を送る。

仕事は楽しいけれど、まだこれといったやりがいがあるわけではない。

休日しか遊べない!って思いで遊んできたけれど、それにもなんか疲れた。

ので、先週も今週もぼーっとベットに横になってぼーっと空見てます。


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マツリカ今年は蕾がたくさん。
でも香りがすこし弱いような。


今日は本でも読もうかな。
公園でごろごろしようと思ったけれど、この暑さじゃね。



春、新生活

4ヶ月ほど前に植えた球根が続々と花をつけています。

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雑草も共存の庭です…(^_^;)

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こっちもあとどれくらいで咲くだろうー。


こうして成長をみていると、いつのまにやらそんなに月日が経ってしまっているのかと驚きです。

祖母や母からしたら、わたしの成長も同じようなものなんでしょうね。


自然に触れる旅行

夏より冬派のわたしですが、
南の島に行ってきました。

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オーストラリアのケアンズ
海も山も滝もはっとするほどの色がありました。

ケアンズから少し離れたところにあるキュランダ村。
駅がとってもかわいかった。

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窓からはいる心地よい風にうとうとしながら、電車に乗って帰りました。幸せな時間でした。

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自然は素晴らしい。
木とか何年かけてあの大きさになるんだろとか考えるといくらでも時間潰せます。

小さい動物園にいたワニ。
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何年だったか忘れてしまったけど、かなりお年をめしていて、動きがスローモーションだった。
剥製だと思ったのに生きていて驚きを隠せなかった。



帰国後は沖縄に。

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こちらは天気が悪く、あまり南の島感はなかったけれど。

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シーサーがたくさんいました。

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ずっと行きたかった美ら海水族館!!!
ここまでの大きさのジンベイザメを水槽に入れるなんて、圧巻です。

でもひたすら彼らからしたら狭い水槽内をぐるぐる回っているジンベイザメを見て、本来ならどこにでも行けるのになぁとか考えて切なくもなりました。
本当に天邪鬼な性格。


旅行からの旅行で帰宅後は、飲み会3連続で、体力がそこをつきました。

休む暇なくバイトと卒業式!3月忙しい!


ぐっとこらえる力

もやもやすると生活が停止してしまうのは悪い所で。何もする気にならず、数日経ってしまいました。


もやもやのはじまりは些細なことで、あーだったこうだったの話からはじまりました。

その後いらいらして話出すと止まらなく愚痴を言ってしまった自分に自己嫌悪。
不愉快な気持ちにさせられて嫌だと思ったのに、愚痴で人を不愉快にしてしまう自分も同じようなものだ。

愚痴は、話す人が聞いてもらっている人に、自分が正当だ、相手が悪い、嫌な気分になるでしょうと、味方になってもらいたくて言うものだと考えます。
つまりこれはフェアな意見ではない。
それがわかって、聞いてくれている人もなんて嫌な人だったの、かわいそうにって言ってもらいたいのが深層心理であるはず。
けれど、実際にそうなるとなんて酷いことを言ってしまったのか、と自己嫌悪で潰されそうになる。

自業自得ながら、なんとも中途半端な愚痴なのか。
大学4年のこの時期に、子供っぽすぎる自分に呆れました。


大学生活はモラトリアムとよく言われるけれど、これまではみんなでこうしてもやもやぐるぐるを繰り返してきたけれど、もう時間と心ともにモラトリアムから抜け出す時期に来ているのかもしれないなぁと考えます。

終わりが来るのは嫌だと思っていたけれど、今はどちらかというと、終わらせなきゃっていう感じ。

引退、就活、卒論、卒業。

そういったものをひとつずつ終わらせる度に、猶予期間の終わりをひしひしと実感していって、ここはもう私の居場所じゃないんだなぁっということに気づいてしまって、さみしいようなほっとするような。そして子供すぎる自分もきちんと終わりにしなければいけない。




「ブログの中のわたし」は好きなことをして、穏やかにのんびり生きている部分だけしか見せない。
そのためのブログというか、わたしが好きなわたしだから、こうして文章として残せていけているのだと思う。

でも実際のわたしはごちゃごちゃ黒いネガティブな部分も構成要素としてあるわけで。
そこを好きな自分と区別したままでは、こっちのわたしは嫌だからこっちに逃げるという心理で、自己嫌悪して反省した気持ちを忘れているだけになる。
そうしたら、いつまでたっても改善していけないんじゃないかと思いました。ので、ぐるぐるする気持ちを書いてみた次第でございます。

お見苦しいお話を失礼しました。
おやすみなさい。

おばけと文章

5.

小暮写眞館(下) (講談社文庫)

下巻やっとやっと読み終わった…。

まぁ時間がかかった。

その理由は”幽霊”という存在。

わたしは心霊現象とか、生ならざるものの存在とかは基本的に信じています。でも、言葉にしてしまうとちょっと違うかなと思います。

信じていると、信じている人が集まってくるものです。

が、金縛りにあったとか、何かを見たとか、正夢を見たとか、信じれば救われるとか、そういった話を力説されればされるほど、白々しい気持ちになってしまいます。天邪鬼といえばそれまでかもしれません。

信じているからこそ、はっきりとさせないで欲しい存在であるわけで、そういった話は好きじゃないんです。

解釈は自由ですが。


この本の中でも、心霊現象が幾つか出てきます。

上巻では、生きている人の思いに焦点が当てられているのですんなり読めました。生きている人の意思や思いが強いのは違和感がないからです。


下巻の初めの方で、それまでふわふわしていた存在を、はっきりと現実のものとして認識させる書き方があり、少し残念でした。現実のお話っぽく書かれているからこそなおさらです。

まるっきりのファンタジーなら、幽霊の存在はまた別の話なんですけれど。

「失った家族の話」の流れに必要な存在ではあるのですが、第三者を用いて存在を明らかにするのはなんだかしっくりこない。


とはいえ、ここを過ぎるとまた勢い良く読み進められました。

痛みを抱えて逃げていた人たちが、痛みに向き合い、雪解けを迎えるラストは少しほろりときます。よかった。